唯一の肉親が亡くなりました

2023年 8月5日

嫁から貰ったコロナが発症。

今回のはやたら高熱が出る上に一向に下がらなくて、ダルいし、喉痛いし、頭痛いし、こんなんいつまで続くのかと…

寝るという行為にも心底飽き飽きして、ひたすら体力と精神を削られる日々に気も狂いそうであったが…

そんなコロナの真っ只中な

8月8日

母親が通院している病院から「今日、受診の日だけど、病院に来てない。連絡しても繋がらない」と電話がかかってきた

母親は凄く真面目な人だから病院に行かないなんて絶対に考えられない

自分はコロナで身動きが取れない為、管理会社に連絡して大家と連絡を取り、アパートに突入してもらった

「クーラーはかかっていますね…あっ、風呂場で倒れて…コレは…とりあえず救急車呼びますね」

その後、救急隊の方から連絡があり

「日にちが経っていて、この状態だと警察を呼ばなければなりません」

数時間後、警察からの電話で事情聴取。過去から現在まで色々と聞かれた

コロナから回復し、自由に動けるようになった

8月14日

DNA鑑定の為、警察を訪問。丸いスポンジで口腔内をまさぐって終了

母親が亡くなっていることが分かっていても、DNA検査の結果で親子であることが証明されなければ、鍵も貴重品も返ってこないので、何をすることも出来ません

出来るのは葬儀屋の手配の予約ぐらい

自分は【よりそうお葬式】にお願いしましたが、明朗会計で良い感じでしたよ

最後のアンケートがしつこかったり、若干のグイグイ来る感じはあったけど、それで救われる人も居る気はするし

ただ、まだまだ色々と忙しい最中でのアンケートの強要は如何なものかと思う

8月23日

コロナに罹っていたせいで受けられなかった健康診断を受けようとしていた矢先に、DNA検査の結果が出たと警察から連絡あり

8月24日

病院で22000円払って【死体検案書】を受け取り、警察へ行って鍵と貴重品を受け取る

検案書によると、死亡日時は8月1日頃、死因は不詳。

警察官にどのような最後だったのでしょうか?と聞いたところ

「事件性は無し。ドンと倒れて何処か打った様子も無く、吐血したり、長時間苦しんだ形跡も無し。恐らくゆっくりとしゃがみ込むような感じだったのでは」とのこと

後に判明したのは

毎日欠かさず付けていた血圧帳。7月26日夕からの記載が無い

27日に「暑い夏乗り越えられるか心配です」と友達にLINEを送っている

大家さんからの情報によると、28日に家賃を振り込んで帰った後、アパートの階段を上がることが出来ずに立ち尽くしているのを一階の住人が発見。2人掛かりで二階に上げて「そんなにえらいなら息子さんに連絡したほうがいいですよ」と伝えたらしく、その連絡が無かったことを考えると、もしかすると

8月25日

11時〜【火葬】

嫁さんの両親がわざわざ大阪から駆けつけてくれた

物凄く心強かったし、有難かったです

最後にはお金を手渡し、もう困っても連絡してくんなよって去っていった

無茶苦茶格好良かった

お金はアパートの撤去代に使わせていただきました。本当に感謝です

8月26日

【廻向院】というお寺さんに【永代供養】をお願いする

最初は忙しくて9月以降にしてもらいたいと言っていたけど、亡くなって日にちも経っているから早くお経を上げてあげたいと話をしたら早い時間ならと9時から時間を取ってくれました

本当有難い

ここは母の宗派である西山浄土宗のお寺さんで、毎朝のおつとめの時にお経と共に名前も読み上げてくれるらしく、母も喜んでくれてるんじゃないかなと思ってます

【好きなもの】
皇室
クロスワード
四柱推命
宝くじ…etc

【夢】
庭付きの一軒家を建てて住むこと

とっても頑張り屋で、
しっかりしていて、
真面目で、
物事をよく知っていて、
尊敬に値する
自分では及びもつかない
とにかく凄い人だった

父親は家に金を一銭も入れずにギャンブルばかりやってるような人間で、やたらと「世間が、世間が…」と言っては、ちゃぶ台ひっくり返してたからなぁ

飯食ってる最中にしょっちゅう喧嘩しやがって、箸やら茶碗やら飛び交って、おちおち飯も食えんかった少年時代

大体、世間って誰だよ、誰か分からん世間に怯えて、うじ殺し飲んで自殺未遂を起こし世間体が悪くなって高知県へ引っ越す羽目になったとかマジで笑える

親父に関しては反面教師な部分だらけだったけど、ギャグセンスだけは超一級だったんだよなぁ

芸人だったらかなりイケたと思うよホンマおもろい人間やった

親父は他に女作って出ていって、自分が高校入った頃に離婚したから

そんなこととっくに忘れてたんだけど、数ヶ月前に母親があれはホンマ碌でも無いクズだったって愚痴ってて、それで思い出したのよね

そんな家庭環境だったから自分は母親の稼ぎだけで大きくしてもらった

それにも関わらず若い頃から鉄砲玉みたいにふらふら出歩いては帰らず

県外に働きに出ては盆も正月もろくに帰らず

まともに親孝行もせず

母親がこっちに来てからも

なばなの里に行きたがってたけどコロナの関係で連れて行けず

孫の顔が見たいとずっと言ってたけど叶えてあげられんかった

以前は結婚も諦めてくれって言ってたから、嫁さんの顔見せれたのだけは良かったんじゃないかと

ステージ4の癌を宣告されて、あと数ヶ月の命と言われながらも、それから十数年

持ち前の我慢強さと、生来の生真面目さ、そして何より病気には絶対負けないという強い意志

痛い思いも、辛い思いも、いっぱいいっぱいしながら頑張って精一杯生きて、生き抜きました

本当に本当に強い人だった

自分だったら絶対あんなには頑張れない

「子供には迷惑を掛けたくない」といつも言ってて、本当にそれを最後まで貫き通した手の掛からない親でした

親の後片付は子の責務。

最後のアパート片付けで夥しい数のレシートが至る所から出てきて、電電公社の領収証まで出てきたのは笑ったなぁ

いや、これかなりレアだろ

掃除大好きで、綺麗好きなんだけど、昔から見えてるとこ以外はイマイチ雑とかそういうとこあったからなぁ

高知から引っ越して来る時にレシートを捨ててきて、本籍をこっちに変えといてくれれば完璧だったよお母ちゃん

今回、母親のことを改めて思い返してみて、良い思い出は沢山出てくるけど、悪い思い出って全く出てこないということが分かった

親子なんだからそれなりに色々とあったと思うんだけど出てこんなぁ、そういうもんなのかねえ

うん、まあやっぱりというか、自分にとっては凄く良い母ちゃんだったんだわ

感謝しかない

尊敬する偉大なる母の息子に生まれることが出来て幸せでした

今まで本当に有難う

享年73歳

母親 イズ フォーエバー


旅行&日々のことの一覧はコチラ
旅行&日々のこと
「旅行&日々のこと」の記事一覧です。
タイトルとURLをコピーしました